サイト再建、私塾創設の経緯

サイト再建、私塾創設の経緯

 私、老師・あきおは、2020年3月、うつ病の診断が下りました。現在は休職し、寛解と復職のために闘病中です。発病(再発でした、経緯は別の機会に)と診断当初から食欲不振で、20kgも痩せました。

 診断が下る前後に、周囲で訃報が多く重なりました。そういう歳に、自分もなったのだと思いました。ちょうど休職の後から、コロナウイルスが猛威をふるい、さらに多くの方が世界中で亡くなっています。

 私は、この6月と7月、自律神経失調症が著しく悪化し、ひどく苦しめられました。寝てもだるい、座ってもだるい、立てば倒れる。急な貧血と立ち眩みにより、32歳にして、杖なしでは危なっかしくて外を歩けません。

 そうした自身の「病」と、度重なる周囲の「死」の中で、床に臥して過ごす日々に、いろいろな想いが駆け巡りました。「生と死の意味」の自問は常にあり、さらに「自らによる死」も2度、含まれています。

 誰でも「死んだほうがマシ」と思ったことはあるはずです。私はインドに住んでいたことがあり(多くの珍談がありますが、またの機会に)過去2回、ひどい食中毒に罹りました。キリキリと止まらない腹痛と、3分に一度訪れる便意に自暴自棄になりました。

 しかし、うつ病には、そうした激しい苦痛はありません。ゆったりとした胸苦しさと倦怠感です。感覚としては、熱のないインフルエンザに似ています。爪を剥がされたり、皮膚を削がれたりする拷問でもなく、そんな程度のことで、ハッキリと「死にたい」と思ったのは、初めての経験であると同時に衝撃でした。

 そういえば、インドに住み始めたきっかけは、大学卒業年の2011年でした。私は東京、しかも芸術学部にいました。そんな個性が武器のような世界で、就活のために個性を捨て「黒く染まってゆく」同級生に違和感を覚えていました。それに反抗するように、私は就活をしませんでした。まさに若気の至りで、良くも悪くも、人生の決定的失敗の一つです。

 両親はそんな私を咎め、仕方なく、海外に興味がある(これも経緯がありますが、また別の機会に)ということで、英会話スクールの営業職に応募し、内定しました。しかし、いわゆる「ブラック企業」でしたので、両親や大学の職員さんと相談の上、内定辞退を申し出ました。

 そしてオフィスから出たのが、あの3月11日、14時30分頃でした。そのあと、私は「このまま帰るのもなんだなぁ〜」と思い、新宿歌舞伎町のゲームセンターに立ち寄りました。そこで東日本大震災、電柱や巨大高層ビルが、まるで生きているかのように大きく揺れるさま、恐怖に阿鼻叫喚する人々の混乱、交通網やインフラシステムの停滞を、この目で見続けました。

 震災からしばらくして、地元群馬の家族を見舞うために帰省をしました。すると新宿駅西口の階段下で、震災で営業場所を失った、内定辞退した会社の元同僚たちが、部長や課長も勢揃いで、こんなご時世に誰も応じるはずのない、ドブ板根性のような営業活動を展開していました。

 その横を通り過ぎた私に、同期入社した男性(彼とは、後のワーキングホリデーでご縁がありますが、またも経緯は別の機会に)が、私の顔をもう忘れたのか、ニコニコと勧誘してきたのです。私は彼を無視し、夕方の雑踏の中に溶け消えました。そして、言葉にならない「この世のバカバカしさ」を感じました。

 道中で電車を1本逃し、乗り換え駅で、計画停電による数時間待ちを強いられました。暇潰しに入った居酒屋で日本酒を、盃に注ぎ終わった時、新宿駅での記憶が蘇りました。そして「もう、好きに生きよう」と決別するかのように、盃を一口に飲み干しました。その後、私はインドの企業の求人に応募し、首都・デリーに移住します。

 コロナと3.11、自分が仕事を中断した直後に起きた2つの偶然。そして自分の病気と、周囲の人々の死。亡くなられた方や被災された方には大変失礼ですが、私にとってはこれらが、私にとっての何らかの「必然」と考えざるを得ませんでした。なぜなら、私が好きで、得意で、そして没頭することで病気を忘れられる唯一の行為は、こうした文筆などの「表現」と「誰かを喜ばせること」なのです。

 そこで、だいぶ前置きが長くなってしまいましたが、今は病弱で非力ながらも、自分ができる範囲で、新しい行動をしたいと思い立ちました。やるからには自分も幸せになるけど、世の中にも貢献する形で。そして、これから起こり得る不幸や惨事を、少しでも私が未然に取り除けるようにとの想いで。

 本来このサイトは、別の目的で2018年に作られたものでした。当初は、時事ニュースに意見を論じるための、まとめサイトでした。仕事に打ち込むあまり忙しく、FacebookやTwitterさえ放置していたのですが、どうも捨てるに捨てられず、2年近くも維持費を払いながら塩漬けしてきました。やっと、みなさんの役に立てる日が来ました。

 私は創設者ですが、それは単なる発起人です。そう遠くない日、私は役目を終え、消え去ることでしょう。たいていの人が「無理だ」と言いたくなるほど大げさな理念と目標も掲げています。それはよく自覚しています。どうか、病人による病床での気狂いとして、お手柔らかに見守っていただけたら幸いです。

 それでも、私の知識と経験、教訓は、きっと誰かの心に残り続けることでしょう。やがて、誰かが私の遺志を継ぎ、それらをもっと広げてくれることでしょう。その日まで私は、全ての人々が健康で幸福に暮らせる毎日が、日本と世界に訪れることを強く希望し、その達成に向けて行動していきます。

自室の机上にて。合掌

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